野球観戦記               |
 名鉄のナゴヤ球場前駅から徒歩で10分程度のところにあるナゴヤ球場。以前は中日ドラゴンズの本拠地として長い間親しまれていた。しかしその役目もナゴヤドームができてからは中日の2軍のグラウンドになってしまった。
 私がナゴヤ球場に最初に行ったのは野球観戦ではなく木の下サーカスのときであった。あの時の記憶だと、確か新幹線側に大きな階段があった。しかしその階段も今はない。人は去っていくものを愛すると言うが、ナゴヤ球場もいずれなくなるであろう。寂しさがこみ上げてきた。
2003年7月5日
 私は初めてナゴヤ球場で野球観戦をした。ウエスタンリーグの中日−阪神戦である。ナゴヤ球場は以前とは比べ物にならないほどこじんまりとしていた。チケットの販売所も一箇所しかない。入り口も一箇所だ。外野席は閉鎖されていて、レフト側には席がない。あるのはライト側だけである。そこには昔の面影を残す古い看板と、古い出入り口だ。昔はナイトゲームの時にグラウンドを照らしていた照明塔もとりはずされている。
 試合前、私は開門の1時間ほど前についた。既に15人ほどの人が居た。途中、バルガス投手がチケットの販売所のところにやってきて、サインを欲しがるファンが「サインください」と言うのに対し、「ちょっとまってて下さいね」という片言の日本語をしゃべっていた。しかし、バルガス投手は10分ほど絶っても来ず、ファンの中には「ちょっとじゃないんかね」という人もいた。
 私は洗平投手のファンなのでもしかしたら登板するかもしれないと思い、1塁側のブルペンの前に座った。試合の始まる前、選手がサインボールをスタンドに投げ入れた。私は転がってきた瀬間中ノルベルト選手のサインボールを入手した。
 先発は長峰。1回は球数こそ多かったが、三者凡退。しかし2回以降はピリッとせずあっさり後退。その後、ウエスタンらしく投手交代しまくり。そして8回1アウト満塁、洗平投手の出番がやってきた。ブルペンで投げてる時に何枚もの写真をとりまくっていたので洗平投手には迷惑をかけた。ここでお詫びを申し上げたい。もう撮らないから許して。結果は2/3回を投げ自責点0。しかし初めのバッターに2−3からセンター前に運ばれ失点2。しかし、次は運良くピッチャー併殺打。自責点にはならず、前の投手の自責点にするという洗平投手の計画性がうかがわれた。
2003年7月25日
 今日の観戦は5日に行った時から行こうと決めていた。運良く登板は我らが川崎憲次郎投手。私は前売り券を買っていったので、30分ぐらい前に球場に着き、バックネット裏の1番前に座ることが出来た。100円であの席をとれるのはすばらしいことである。しかも隣には中里投手が試合の模様を新品のビデオで撮っているではないか。2軍最高!
【試合結果】
近鉄:000010002―3
中日:20010100×―4
(近)山村、山本、愛敬、吉川−鈴木
(中)川崎、小笠原、小山−田上、前田章
▽勝 川崎5試合3勝1敗
▽敗 山村8試合2勝5敗
 川崎はさほどさえないピッチングであった。2番手の小笠原のほうがカーブも良く切れていた。川崎が1軍に上がるのはまだまだであろう。最終回登板した小山は下手な審判に見放され、フォアボールのあとに球威に押されたボテボテのショートゴロがセーフになり、1.2塁。その後、四球をだし満塁。球自体は切れていて、コースも良かった。満塁の後はレフト前に運ばれ2失点。最後は三振でなんとかピンチを切り抜けた。
 試合後、私は隣の小さな球場で一緒に行った友達とキャッチボールをしたあと、ナゴヤ球場へ。バスに乗っていた朝倉投手からサインを頂戴することができた。2軍でのサインというのはお決まりで、5日もノルベルト選手がサインをしていた。
2003年8月16日
 今日は7月5日に行った時に友達が、チケットを当てたのでナゴヤドームでのウエスタンを見に行きました。先発はまたもや川崎憲次郎。結果から言うと5回を投げ8安打3失点負け投手になりました。川崎投手は初めての本拠地初登板を果たしました。
 しかし問題は人の多いこと多いこと。ナゴヤ球場では考えられないほどのmany peopleでした。20分ほど前に行ったのですが、長蛇の列。どえりゃぁ人が多かったのです。ナゴヤ球場の場合は20分も前に行けば余裕でバックネット裏の最前列でみる事ができますが、今回は、宣伝したり、チケットが当たったりボーイズリーグや、シニアなどの団体も呼ばれているらしく、人が多いこと、多いこと。そこで私は言いたい。お前らはナゴヤ球場でウエスタン見に行った事あるのかと。ナゴヤドームでのウエスタンはウエスタンじゃない。ウエスタンというのは、もっとスバラシイものなのだと。
 やっぱりウエスタンはナゴヤ球場!
2003年8月23日
 やっぱりウェスタンはナゴヤ球場ということで川崎投手が登板するということでナゴヤ球場へ。しかし暑い。私がナゴヤ球場に行った7月はまだ梅雨で、実は2回とも小雨がぱらつく時もあったという状態。しかし今日は灼熱の太陽の下での観戦。まず、椅子が暑い。死にそうなくらい暑い。この中でプレーするのだから選手はもっと暑いであろう。
 川崎の初回、ライトフライとセカンドフライでポンポンっと2アウトにするが、次の打者にセンター前。しかしこれ、セカンドの森岡が捕れそうな打球。実際捕れた。グラブにもあたっているだろう。打球反応が悪すぎた。結果はヒット。1軍では3者凡退であろう。川崎は気持ちの切り替えが出来ずにヒットを打たれ、この回3失点。アウト二つがフライで、シュートが良く切れていたにもかかわらず残念だ。2回も2アウトまでを簡単にとった。しかしその後、セカンドの前方へ完全につまった当たりを森岡がとれずランナーを出す。またもや打たれた。3回は3者凡退にとった。川崎には見方がミスをしたときの切り替えをしてほしい。ベテランであるからそのくらいは出来るとおもっていたのだが。
 その後、サーパスの投手が変わり、うまいこと5点を挙げた。これで川崎の負けは消えた。しかし中日の点はこの5点止まり。栗原や小山などなどがちょくちょく打たれ、8回までに8点を奪われた。そして9回。中日のかくれたエース、洗平竜也投手の登場だ。初球、ボール。やはりボールから入った。2−3にしたものの凡打。1アウトだ。2人目の打者に対し、初球、ボール。またもやボールだ。カウント1−3からサードゴロ。洗平投手、制球に苦しむも2アウトをとる。しかし次の打者に四球。その後、安打、四球の繰り返しで結局4失点。最後は三振だったが納得いかない投球だった。ちなみに洗平のコントロールは中学生並だ。コースに投げわけるコントロールはない。リードする捕手は大変であろう。しかし変化球はスライダーとカーブを投げる。私の読んだ本にはストレートがきちんとコントロールできてから、変化球を覚えようと書いてあった。
2003年9月6日
 今日の先発は手首を怪我したバルガス。いきなり、153km/hの速球をセンター前にはじき返されると、2人目には右のももあたりへのデットボール。1・2塁とすると続いてヒット1点を献上。しかしその後6回まではランナーは出すものの無失点。中日の打線は、3回にバルガスが出塁。1番の都築が送ると前田がホームラン。2点の同点にしたが、バルガスのあとをつないだ小山が2失点。この差を中日打線は埋めれるはずもなく結局そのまま負け。洗平投手は投球練習をしていたものの結局9回は福沢が投手をふくめ2三振3者凡退で終わった。
 前回よりも暑くはなく、ときより雲もあったので苦はさほどなかった。
2003年9月13日
 私は知らずに行ったのだが、なんと先発は川崎憲次郎。球宴ファン投票1位の男である。前回は散々な内容で一軍が見送られた。今日活躍して阪神の優勝が決まってからでも一軍でなげて欲しい。試合前、私を含めブルペン近くにいた人々は投球のピッチがあがるとともに「ナイスボール!」と言って川崎を盛り上げていた。
 その川崎、試合開始直後、1番の肥田に華麗にセンター前ヒットを打たれた。が、次は平凡なセカンドダブルプレイかと思われたあたりを森岡がお手玉。アウトは1アウトだけとなった。次も内野ゴロで、二アウトランナー3塁。四球。先制されるピンチ。しかし、ここはショートゴロで点はやらなかった。2回、3回、4回とひやりとするあたりはあったものの、0点におさえた川崎。5回だった。ランナーが出た。バッターはピッチャー今村。レフトへの2ベースのタイムリー。先制される。この回2失点。川崎は次の回、代打をだされ、交代する。
 その後、両チーム点がとれず8回に小林が本塁打をうたれ、3点。最終回は福沢で洗平投手の登板はなかった。結局試合は3−1で中日が敗れる。川崎は3敗目。負けはついたが、最近の登板では1番良い。今季一軍で投げれるかどうかが楽しみだ。