洗平竜也投手
青森県六戸町(ろくのへまち)出身の超豪腕左腕。2000年にドラフト2位で中日入りしたエースである。冬の厳しい六戸町で育ってきたその体はほかの誰の投手よりも強いととても評判。コントロールは若干悪いものの、速球の球速と威力、そしてキレは今の日本球界において洗平を抜くものや右に出るものは一人もいないとの高評がある。キレのあるスライダーと落差のあるフォーク。そしてカーブを投げる。迫力のある投球モーションから投げられる球にはだれも手をだすことができないであろう(別の意味で)。
また、洗平投手の背番号は32である。この番号は以前、島崎毅がつけていた番号で島崎毅は現在(2002年)は日本ハムの二軍投手コーチをしていて中日では5試合を投げ、防御率では5点以内に抑えたと言うすばらしい投手である。それを受け継いだ洗平は相当期待されているに違いない。このままプロを辞めることなく、日本一になってほしいことを願うばかりだ。
高校は八戸市の光星学院高校。光星学院出身のプロ野球選手といえば巨人のほとんど活躍していない根市投手がいる。洗平は高校ではおしくも三年間の間、三年ともあと一勝で甲子園のところを逃し皆から「悲運のエース」と呼ばれるがプロに入ってからは大活躍。2004年のペナントでは先発ローテーションの軸として20勝近くはすることを期待したい。

ここで青森出身の投手をあげておこう。いちばん有名なのは2003年に優勝した阪神の2軍投手コーチの葛西である。葛西投手の入団当時は先発投手としてヤクルトキラーといわれ、開幕投手も勤め、後にリリーフとして活躍する。 すばらしい変化球もあるが、基本的にはアンダースローからのストレートの球威で勝負するタイプで三振がバシバシ取れる華麗なサブマリン投法。
葛西投手の成績(12年 331試合登板)
36勝40敗 29S 48SP 完封1 無四球1 投球回584 奪三振352 防御率3.59
ほかにも先に述べた根市投手(光星学院ベスト4の立役者。オリンピックの代表にも選ばれかけた)や、橋本投手(ダイエー→西部→阪神→ロッテ)、細川選手もいる。
光星学院といえばやはり八戸市を思い浮かべる。八戸市は県下一の市である。八戸港はイカがよくとれて青森へ食の取材をしにくるマスコミはほとんど言っていいほど八戸にくる。あとは大間のマグロあたりであろうか。八戸といえばやはり石橋天満宮である。そこは高い位置にあって花火大会などのときの景色はすばらしい。2002年12月には東北新幹線が八戸まで開通するので青森県、特に八戸市が活気が出てきて東北の重要な県となっていくことは間違いない。
八戸出身で教科書にでてくる人物といえば誰もが知ってる安藤昌益である。安藤昌益は医者でありながら、「みんながみんな耕作する万人平等の理想社会」を説いた。と、このように洗平は偉大なる大投手なのである。ですからして、これからは洗平のファンが朝倉のファン並に多くなることは間違いない。ちなみに朝倉はプロ初登板のときに初球から150km/hのストレートを投げて観客をどよめかせたことで有名である。

<参考>↑朝倉投手のサイン